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bike

Author:bike
 写真は、和歌山県内にある「紀伊日ノ御埼燈台」です。
定年後、日々余裕ができたのでアメブロを始めたのですが、平成25年9月15日、当ブログに引っ越しをしました。思いつくままに綴っているところです。
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テン(読点)3

 テンについての、前回の続きです。
以下、テンをうつための原則より(日本語の作文技術より抜粋)

節を先にし、句をあとにする。
  ※「節」1個以上の述語を含む複文とし、「句」は述語を含まない分節とする。
  
長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。

大状況・重要内容ほど先に。

親和度(なじみ)の強弱による配置転換。

以上、①と②の二つで、この二つの重要性はほとんど同等の比重とみてよい。①と②のどちらを優先するかは、その文の状況で判断する、と記されています。

以上の4点については、他の本でもよく目にすることが出来るようになりました。



第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による。)

第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。


<これより今日の例題です>
チリ美人は、アルゼンチンの肉をたっぷり食べているセニョリータにくらべると、ぐっと小柄である。
(『女ばかり南米大陸をゆく』読売新聞)


上記の「アルゼンチンの」という修飾語は、これだと「肉」にかかるとみるのが自然な読み方である。しかし事実は次のような関係にあるのだ。


$自転車で日本一周を達成したオヤジ

とすれば、原則の適用によって次のように改良するのが最も自然であろう。

<修正後>
肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータにくらべるとチリ美人はぐっと小柄である。



<例題Ⅱです>
ポルトガルとのあいだに休戦協定がむすばれ、MPLA指導部の第一陣として1974年の暮れに、解放闘争初期からの指導者の一人ルシオ・ララにひきいられた代表団がルアンダの空港についたとき、5万人からなるアフリカ人の群衆が空港をとりかこみ、ララ同志をかついでルアンダの中心へむかった。
(『アンゴラ解放戦争』岩波新書)

この中で悪文は「MPLAの・・・・・・空港についたとき」の部分である。これは「ついた」という述語を四つが修飾している。

$自転車で日本一周を達成したオヤジ


これは原則①と②から考えると、順序はハ イ ロ ニ だから次のようになる。

解放闘争初期からの指導者の一人ルシオ・ララにひきいられた代表団がMPLA指導部の第一陣として1974年の暮れにルアンダの空港についたとき、

このままでもよいが、もし原則③によって ロ を最初にもってきたいのであれば、次のようにして読点を打てばよい。・・・。

<修正後>
1974年の暮れに、解放闘争初期からの指導者の一人ルシオ・ララにひきいられた代表団がMPLA指導部の第一陣としてルアンダの空港についたとき、

しかし、休戦協定と第一陣到着とは時間的にどちらも「1974年の暮れ」としてまとめられるものであるから、この ロ は文全体の最初にもってきて「1974年の暮れにポルトガルとのあいだで休戦協定が・・・・・・」とする方がより良いだろう。

<再修正後>
1974年の暮れにポルトガルとのあいだで休戦協定がむすばれ、解放闘争初期からの指導者の一人ルシオ・ララにひきいられた代表団がMPLA指導部の第一陣としてルアンダの空港についたとき」、とされています。


長い文章になり申し訳ありません。





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