10月7日付けのブログで既に記載していますけれども、あまりにも私の心の中に衝撃的に残っていますので、沖縄での体験について改めて綴ってみたいと思います。
旅の間、テレビや新聞を見たり読んだりする事ができませんでした。今は、少し余裕ができましたので新聞を開けていますけれども、嫌でも不愉快で痛ましい事件が目に留まります。それも、事件の多くが弱者なんですね。
本来人間は皆、優しい思いやりのある心を持ち合わせているはずです。それは子どもを見ているとその心が理解できるはずです。それが人間の持つ本来の心だと思います。
私は沖縄の旅をしているときに見た「道の駅・おおぎみ」での光景を今でも思い出します。
その光景とは、店先にパイナップルやみかんが山盛りの状態。それに店先の頭越しには、バナナが沢山吊るしてあったんです。
17時の閉店の時間が間近になっていましたので、関係のない私の方が片付けについて心配をしたほどでした。
ところが店先に沢山並べてある果物の上に、無動作にすだれを覆いかぶせるだけで事を済ませたんです。
私はその光景を見て、間髪いれずに「このままなんですか?」と尋ねました。
すると「そうですよ」の答が返ってきたんです。ほんとに驚きました。
再度、私は「これまで盗難にあったことはないんですか?」と尋ねると、
「ぜんぜんありません」とごく自然な感じで答が返った来たんです。
このやり取りの前に私は、この晩道の駅で泊まることについての承諾してい頂いてましたので、
「それでは、仮に今夜ここの果物が無くなると、私の責任になりますよね?」と笑って言葉を返しました。
私が伝えたいのは、本来、このような条件での生活が営まれていれば、事件など起きない社会になるはずなのに、との思いを強く抱いたのです。
地域の方への100㌫の信頼があるからこそ成せる業だと思います。事実、この夜、道の駅で寝ましたけれども、結構遅い時間まで車の往来がありました。こうした状況のもとであっても店先にある商品が盗難にあわないと、と言い切るんですからすごいことだと思いました。
この光景を見てから思うことは、沖縄住民がいかに正直に生活をされているのかについて、説明がなくても理解できました。
沖縄でのこのような光景を目にしてから思うことは、日々の事件を新聞を通して見るにつけ自身の欲望について時制出来ないほどに人間の心が荒んでしまっていることを痛感します。
この点も踏まえて、もう少し後に旅の総括として、体験もとにしての思いを綴ることにしています。
これが「道の駅おおぎみ」です。
営業中の状態です。
営業中の状態の上に、無造作にスダレが覆われただけです。
バナナは、そのままです。
写真手前のテーブルで寝ました。
これは、昼間も使っていなかったテーブルです。
店の前は国道です。
私が食べるために、買ったパイナップルです。