旅の画像、№46(青森県浅虫温泉~龍飛崎)
旅の画像、№46(青森県浅虫温泉~龍飛崎)
8月29日(日)、この日の向かう場所は、津軽半島の最先端でした。地図上では道の駅並びにキャン場が表示されていましたので、そこを目指すことにしました。
実は、龍飛崎を訪れるのは、これが二度目になります。始めて来た時は、2月のまさに真冬でした。とにかくすごく寒いことのみが強烈に残っています。でも、次は暖かい時の景色を見詰めてみたい、それが私の願いでした。その地を自転車で再訪したわけですから。
この日も、快晴でした。暑いのも大変ですけれども、夜のことを考えると雨よりはましです。
昨夜の野営場所である浅虫温泉から青森湾沿岸に沿って青森市街を抜けた後、津軽半島へ入りひたすら走っていると、前方から自転車で旅の途中のお兄さんに出合いました。
彼は愛知県出身で54歳でした。毎年、つなぎにしながら自転車での日本一周を目指しているそうでした。夏になると昨年走ったところを起点として再出発をしていました。ここで彼と記念撮影をしてお別れをしました。
龍飛崎へ着いたのが午後3時30分でした。まずは、階段国道のそばにある龍飛港を訪れてから、港のそばにある太宰治ゆかりの宿であった「旧奥谷旅館」を尋ねてみました。今はこの地の案内所として使われています。宿の玄関を入ると、少しは改修工事はされたそうですけれども、当時の趣をそのまま感じることのできる風情のあるロビーの造りでした。なんだか当時の様子が見てとれる感じです。
かの有名な階段国道へは、港町にへんばりつくように家屋が密集する狭くて迷路のような路地を中へと入り込みます。この階段国道と龍飛崎が、この村の存在を全国へと情報発信したことは確かでしょう。龍飛崎は、石川さゆり、さんが「津軽海峡冬景色」を切々と歌っていることでも有名です。
私は自転車なのでこのまま進むことができませんので、この場所を少し引き返し、途中ある車道から灯台へと向かいました。その高台には「ホテル竜飛」があり、少し離れには、龍飛崎灯台や道の駅・「青函トンネル記念館」などがあります。
私がここへ着いたのが午後4時前でした。この日の体験坑道見学の最終時間となる4時03分に辛うじて間にあうことができました。青函トンネル記念館では、時間おきにですが、体験坑道へ入ることもできます。ケーブルカーで海面下140m まで入ります。
青函トンネルが造られることになった理由は、運行中の連絡船が台風のために沈没をしたことが発端となり、トンネルの採掘が考えれるようになったそうです。
当初のトンネルの場所は下北半島側が考えれたそうですが調査の結果、地質的に向いていなかったらしくて、津軽半島側になったそうです。
津軽は素晴らしいところです。機会があれば皆様もぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
移動中での2枚の海岸風景です。


龍飛漁港、美しい港です。

太宰治ゆかりの宿であったとされる「旧奥谷旅館」です。龍飛漁港のすぐそばにあります。

港から階段国道へと入るには、密集した狭い路地へと入ります。



狭い路地を抜けると、ここからが階段国道になります。階段ですが確かに「国道339号」ですよ。

「ホテル竜飛」です。コンビニで夕食を買い忘れましたので、体験坑道へ入るときの受付を通じてホテルでの夕食の予約を入れておきました。この地までくると、食堂が見当たりません。ここでお風呂にも入りました。

ホテルの真下、地底を青函トンネルが通っています。ロビーには、列車が通過する時刻が表示されています。


ホテルを入るとロビーの中央には、青函トンネルを走る列車の通過音を聴きとることのできる装置があります。この写真は、天井に装備されているもので、列車が通過すると7色に変わる照明が点滅します。

見えてる建物はお手洗いです。ここは駐車場ですが芝生のスペースがりましたので、そこで野営をしました。ホテルもこのすぐ近くです。

高台から見た竜飛漁港です。ほんとに絵になる景色です。

灯台のそばから見た駐車場やホテルのある所です。駐車場のある一角で野営でした。

龍飛崎灯台です。この岬の下は、断崖絶壁の海です。また、ホテルからも見えますが、ここからも北海道がはっきりと見ることができます。太宰治が「津軽でここを過ぎて道はない、あとは海に転げ落ちるばかりだ」と当時の心情を語っています。確かにそのとおりです。


8月29日(日)、この日の向かう場所は、津軽半島の最先端でした。地図上では道の駅並びにキャン場が表示されていましたので、そこを目指すことにしました。
実は、龍飛崎を訪れるのは、これが二度目になります。始めて来た時は、2月のまさに真冬でした。とにかくすごく寒いことのみが強烈に残っています。でも、次は暖かい時の景色を見詰めてみたい、それが私の願いでした。その地を自転車で再訪したわけですから。
この日も、快晴でした。暑いのも大変ですけれども、夜のことを考えると雨よりはましです。
昨夜の野営場所である浅虫温泉から青森湾沿岸に沿って青森市街を抜けた後、津軽半島へ入りひたすら走っていると、前方から自転車で旅の途中のお兄さんに出合いました。
彼は愛知県出身で54歳でした。毎年、つなぎにしながら自転車での日本一周を目指しているそうでした。夏になると昨年走ったところを起点として再出発をしていました。ここで彼と記念撮影をしてお別れをしました。
龍飛崎へ着いたのが午後3時30分でした。まずは、階段国道のそばにある龍飛港を訪れてから、港のそばにある太宰治ゆかりの宿であった「旧奥谷旅館」を尋ねてみました。今はこの地の案内所として使われています。宿の玄関を入ると、少しは改修工事はされたそうですけれども、当時の趣をそのまま感じることのできる風情のあるロビーの造りでした。なんだか当時の様子が見てとれる感じです。
かの有名な階段国道へは、港町にへんばりつくように家屋が密集する狭くて迷路のような路地を中へと入り込みます。この階段国道と龍飛崎が、この村の存在を全国へと情報発信したことは確かでしょう。龍飛崎は、石川さゆり、さんが「津軽海峡冬景色」を切々と歌っていることでも有名です。
私は自転車なのでこのまま進むことができませんので、この場所を少し引き返し、途中ある車道から灯台へと向かいました。その高台には「ホテル竜飛」があり、少し離れには、龍飛崎灯台や道の駅・「青函トンネル記念館」などがあります。
私がここへ着いたのが午後4時前でした。この日の体験坑道見学の最終時間となる4時03分に辛うじて間にあうことができました。青函トンネル記念館では、時間おきにですが、体験坑道へ入ることもできます。ケーブルカーで海面下140m まで入ります。
青函トンネルが造られることになった理由は、運行中の連絡船が台風のために沈没をしたことが発端となり、トンネルの採掘が考えれるようになったそうです。
当初のトンネルの場所は下北半島側が考えれたそうですが調査の結果、地質的に向いていなかったらしくて、津軽半島側になったそうです。
津軽は素晴らしいところです。機会があれば皆様もぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
移動中での2枚の海岸風景です。


龍飛漁港、美しい港です。

太宰治ゆかりの宿であったとされる「旧奥谷旅館」です。龍飛漁港のすぐそばにあります。

港から階段国道へと入るには、密集した狭い路地へと入ります。



狭い路地を抜けると、ここからが階段国道になります。階段ですが確かに「国道339号」ですよ。

「ホテル竜飛」です。コンビニで夕食を買い忘れましたので、体験坑道へ入るときの受付を通じてホテルでの夕食の予約を入れておきました。この地までくると、食堂が見当たりません。ここでお風呂にも入りました。

ホテルの真下、地底を青函トンネルが通っています。ロビーには、列車が通過する時刻が表示されています。


ホテルを入るとロビーの中央には、青函トンネルを走る列車の通過音を聴きとることのできる装置があります。この写真は、天井に装備されているもので、列車が通過すると7色に変わる照明が点滅します。

見えてる建物はお手洗いです。ここは駐車場ですが芝生のスペースがりましたので、そこで野営をしました。ホテルもこのすぐ近くです。

高台から見た竜飛漁港です。ほんとに絵になる景色です。

灯台のそばから見た駐車場やホテルのある所です。駐車場のある一角で野営でした。

龍飛崎灯台です。この岬の下は、断崖絶壁の海です。また、ホテルからも見えますが、ここからも北海道がはっきりと見ることができます。太宰治が「津軽でここを過ぎて道はない、あとは海に転げ落ちるばかりだ」と当時の心情を語っています。確かにそのとおりです。


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