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増本世志夫

Author:増本世志夫
写真は、和歌山県内にある「紀伊日ノ御埼燈台」です。
定年後、日々余裕ができたのでアメブロを始めたのですが、平成25年9月15日、当ブログに引っ越しをしました。思いつくままに綴っているところです。
 右サイドバー、リンク上段の「自転車で日本一周の旅」は私のホームページです。

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(5)自転車で得た根性(総括)

随分ながい総括になりましたけれども、これが最後になります。


自転車での日本一周。既に多くのことを綴りましたけれども、でも決してこれが全てと言うことではありません。


さて、日本一周で得たもうひとつの財産が、「根性」です。


根性、の持つ意味には色々なことが含まれていると思います。


私が旅で得た根性、それは次の2点についてです。


(1)苦難に耐える根性

今年の夏はほんとに暑かったですよね。それでも高知生まれ関西育ちの私にしてみれば、8月を北海道で過ごすことが出来たことは、ある意味、暑さ知らずの夏で終わってしまった感じです。


それでも夏であることに変わりはありません。ましてや自転車に荷物を積み込んで走っているわけですから、それは大変であったことは確かです。


とりわけ今年の夏は例年になく暑かったようでして、その暑さにへこたれずに最後まで踏ん張ることが出来た自身に、ごほうびを与えたい心境です。結果として、いつしか自身の中に根性のかたまりが育まれたようです。


炎天下、大雨の日になると、時々心の中で「負けてたまるか!」と雄叫びを出しながら走ったことが多々ありました。


(2)孤独に耐える根性

在職中は、様々なことがあったにしても、そばにはいつも職場に仲間がいました。帰宅すれば家族がいます。でも、一旦、旅に出てしまうと24時間、常に単独行動になります。ましてや自転車です。車の旅であれば、夜になっても雨が降っても逃げ込むための気楽に過ごせる空間があります。


単独での自転車の旅は、その場所が山の中であったとしても、耐え抜く以外にそこから逃げ出すことができません。ちなみに、いちどイノシシがでてきたこともありました。時には真っ暗な林道の中を、ライトの明かりを頼りに走り抜けたこともあります。林道ですから車の往来など全くありません。誰もいないところで寝たこともあります。


自転車の旅を通じて培ったもうひとつの意義、それは孤独に耐える根性でした。


九州の道の駅でしたけれども、東京在住の50歳後半と思われる男性でしたけれども「実は、死の場所を求めての旅でした」と言う方と巡り合いましたました。



ママチャリで死に場所を求めての放浪の旅をしていたんです。


話の途中で彼の重い口からやっと出た本音のことばでした。みず知らずの私に心中を打ち明けることで、恐らく彼も内心すっきりしたはずです。彼は「自殺はしません」と私の前で断言してくれました。


彼は、旅で出会った方から「九州も走ってみては・・・」との助言から九州一周の旅へと向かっていました。九州の旅の途中で、九州を拠点として自転車の旅をされている年配の方(旅の達人)との出会いも相まって、自殺を思い止まってくれました。自身の考えが愚かであったことに、自転車の旅を通じて気づいてくれたんです。


道の駅でこの方との会話のなかで、「これまでの自分の人生がいかにちっぽけなことであったのかが、自転車でここまで走り抜いてみて初めて分かりました。ほんとに自転車で良かった。自分に息子がいれば、絶対に日本一周をさせます・・・」とその時の心境を私に語ってくけれました。


この考えは、私と全く同じです。


自殺まで考えての自転車の旅ですから、かなりの悩みがあったはずです。いずれにしろ自転車で死に場所を求めた旅が、逆に自身の命を助けてくれるきっかけとなりました。ひたすら走り抜いた日々、東京から九州まで駆け抜けた根性、同時に人との出会が彼の悩みを葬ったことは確かです。


孤独と苦難に耐え抜く双方の根性が身についてくれたようです。


余談ですが彼は今、九州のある市内で暮しているはずです。


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(4)地方都市の現状(総括)

本州及び北海道・九州・沖縄・四国・淡路島、いずれも極力海岸線に近い国道沿いを自転車で走行しました。


その間、海岸線沿い(一部山間部)に点在する町をつぶさに見詰めながらの走行でした。


例えば、時には「・・・市」の市街地の商店街を通ったこともあります。


そこで目にしたのが、閉鎖された店舗でした。とにかく商店街を歩く町の人の姿がまばらなんです。これから先どのようになるのだろうか? ほんとに寂しさを感じました。


市街地ですらこれが現状です。ですから、すこし市街地を外れてしまうと、ところによっては空家が目立つところさえありました。そのようなところでは、偶然でしたけれども地域の担当者の方が空家を点検されている光景を目にしたことがあります。


時には廃墟のあと倒壊家屋の状態になっているところもありました。


見詰めただけの感想ですけれども、今流のことばを使わせて頂くと、明らかに「限界集落」と思わせる村もあったように思います。


とある道の駅の近くにある食堂で夕食をしながら、お店のご主人と会話が弾みました。お話の中でご主人から「以前と比較すると、町の人口が三分の一にまで減少している。もう商売が成り立たなくて、旅館を始めお店をやめた方が沢山いる・・・」、このような町の現状を聴きました。


新幹線や高速道路の開通で喜んでいる方のその裏で、このことが逆に商売の阻害となっている現実もあるんですよね。痛しかゆし、とはこのことでしょう。


また小樽市内を走行中のとき、健康ランドのお風呂屋さんを尋ねたところ、「以前はあったけれども、今はなくなってしまった・・・」と力なく答えてくれました。


小樽市の現状について、「小樽市は観光都市なので、若者の働く場所がないから、隣が札幌市であることからほとんどの若者が札幌へ行ってしまう。だからお風呂屋さんもダメになった・・・」と語っていました。


小樽市でさえこのような現状ですから、ましてや小さな村なんて限界集落になってしまっても不思議ではないですよね。


若者が都会へ移住してしまう、この流れを止めるための手立てなんて誰にも出来ないはずです。


私は自転車で走りながらの田舎の風景を見ては、「今はこうして人の姿がありお店もあるけれども、10年以後になると、もしかするこの光景がすべて消えてしまっているかもしれない・・・」そんなことすら思い浮かべてしまうほどでした。


片田舎になると、とにかく若者の姿を目にすることが出来なところさえありました。そのようなところにある学校は、当然、廃校になっているのをつぶさに見てきました。


ひと昔前は賑わっていたはずの村が、いつの日か消えてしまう、そのようなことを思うと寂しい限りですね。でも、これが地方都市・日本の現状なんです。



(3)気配りに欠ける日本の国道事情(総括)

11,493Km走行する間に、快適な道から悩ましい道、ほんとに様々な国道を走りました。




そこで気付いたのが、弱者切り捨て、車優先の行政であることに気付かされました。次の二点です。




(1)表示板の設置不足


国道であっても高架になると、自転車や歩行者が通行禁止になるケースがあります。自転車や歩行者の安全確保のためなので、それは当然の処置であると思います。ただ残念なのは、一旦走行している国道から下りたあと、表示板がないために、次にどちらの道へと向かえばいいのか迷ってしまうことが多々ありました。





たまに陸橋があったとしても、自転車を押すための陸橋の勾配が余りにもきつ過ぎて、とてもではないですけれども通行できないことさえもありました。備えておけばよし、の利用者不在の典型的なケースですね。ほんとに無茶苦茶です。





通行禁止の処置を講じたときは(でなくても)、利用者が本線を下りているわけですから、その後、車と同様、自転車や歩行者用の表示板を掲げることで、次に進むべき方向を明確にしておくべきです。





市街地を外れると国道の歩道が、片側のみの設置になってしまうことがほとんどです。問題なのは、その歩道が橋脚を境として右側に設置されていたものが、突然左側へと変わってしまうことが随分ありました。





地形的なことも含めて、それはそれで仕方のないことでしょうけれども、既に記しましたように、歩道が右から左へと代わるときは、特に案内板の設置が必要になるはずですけれども、それがないんです。





一旦、本線から下りた後、再度、苦労しながら、やっとの思いで本線へ入ることができたことさへありました。それほど厄介な国道になっています。きっちりとした案内板さえあれば防げるはずです。





(2)歩道の整備がなされていないこと。


バイパスに近い感じの国道があります。とにかく高速走行している車ばかりで、とてもではないですけれども危なくて車道を走る気分にはなれないところがありす。





このときは当然、歩道を通ることになるわけですけれども、助けを求めて入った歩道に雑草が生い茂って通行もままならないことがありました。真夏のことですから、自転車を下りてから押すのは、ハブがいないか? と思うと押すことさえもためらいました。





かと思えば、歩道のいたるところに亀裂による段差が生じていたり、舗装時のアスファルトに入っている砕石が歩道上に沢山散乱しているために、とてもではないですけれども自転車の走れる環境でないことが多かったです。





日本一周を目指す者にとっての大敵は、事故はもちろんのことですけれども、走行途中のパンクです。パンク修理は、時間のロスと手間暇がかかりますので、長距離ツーリングを目指している者にとってはほんとに大敵であり面倒です。ですから、危険と隣り合わせであることを承知で車道を走ることになります。このことは、自転車に乗っている多くの方が同じ考えだと思います。




今、ひと夏を中心として日本一周ないし日本横断を目指して走っておられる方が、若者を中心として恐らく30名以上はおられはずです。





これからは、ますます増えることがあっても、減ることはないはずです。この中には外国人の方も含まれています。ですから旧態依然の考え方での道路事情では、だめです。





不備な点は、即刻改善をするべきです。





間接的な話の中で、外国人の方が「日本のトンネルの造り方は間違っています。頂上になってからトンネルを造っているけれども、もっと下の方で造るべきです!」とのことを耳にしました。的を得ていますよね。





日本一周を目指している方の多くの青年がリストラや倒産に遭った被害者です。この際に日本一周を目指しています、という日本一周の動機をあかしてくれました。中には自らの意思による退職もありました。その他、大学生もおられましたけれども。





理由など関係ありません。私は、日本一周を目指している彼たちの行動力に拍手喝采と同時に、陰ながらですけれども心から応援をしています。





以上のような社会情勢も相まって、これからは、自転車での日本一周を目指す青年が増えてくるはずです。そのためにも安心して走行する事のできる国道であってほしいものです。







(2)道の駅(総括)

自転車の旅を通じて、人との出会いと同様、深く心に残っているのが「道の駅」の存在です。


123回宿泊したうちの60回が道の駅で寝ています。ですから道の駅があったからこそ成し得た日本一周でもありました。それだけに思いでも深いわけです。


道の駅には二つの要素が含まれていると思います。


ひとつは、道の駅が地域の活性化に不可欠で重要な役割を担っていることです。


例えば、道の駅によっては農産物や魚介類などが販売されていました。農産物については、農業に携わる方々が早朝から軽トラで運び込む姿をずいぶん目にしました。その姿を見ると、ほんとに生き生きとしていました。道の駅を通じての現金収入の大切な場所なんですね。


一方、漁業についてですけれども、やはり魚介類が活発に販売されているところは、客もけっこう賑わっていましたし、道の駅も活気に満ちていました。


道の駅が地域の活性化に大きな貢献をしていることは間違いありません。


もう一面の道の駅ですけれども、車での旅人を呼び込む役割をしています。旅人に買い物の提供としているだけではなくて、休憩場所としの役割も担っています。夜になると駐車場が、遠くから車で来られた方々の寝るための場所にもなっているんです。

 

道の駅のお手洗いは24時間解放にされていますから、とても便利な場所です。また道の駅によってはそばに温泉もあります。ですから観光を楽しみながら道の駅を利用されている方をけっこう見かけました。宿代が節約できますから、ガソリン代や食事代に回せて一石二鳥なんですね。


そして個人的には、この場所を通じて多くの方との出会いが生まれました。


ただ、これは私たちのような自転車や車での旅をされている方々を含めて、ある意味、贅沢な方々の旅の一面を見ているわけですけれども、一般的に気付かれていない面もあります。


それは、道の駅を住まいの場とされている方がおられることです。数年単位にも及んでいるケースさえあります。車を駐車場に止めてからそこを寝床にされています。


かと思えば、24時間解放されている休憩室を寝床とされている方もおられますし、休憩室が解放されていない道の駅では、屋根のある場所を寝床とされておられる方もいました。


私たちが当たり前のような日常生活をしているその裏で、このよう方々が実際におられることです。もちろん人それぞれの事情があると思います。


一般的に道の駅は、夏場の閉店が18時で、これを過ぎると17時のところがほとんどです。閉店間際になると「蛍の光」のメロディーが流れます。するとそれまで賑わっていた道の駅にいた人たちの姿が見られなくなるんです。


この時間帯がいちばん嫌いでした。なんだか侘びしくなるんです。この一瞬は、まさに孤独との闘いです。それでもその場所から逃げ出すことはできませんから。


寝る方法は、テントを張るのか寝るにふさわしい長椅子等があれば、そこで寝ることです。最悪のケースは、私の場合は何度となくありましたけれども軒下の石の上に新聞を敷き、その上にテントの下に敷くシートを広げてから、寝袋で寝ました。


結論として得たことが、日々何気なく当たり前のように寝ている家について、私は感謝の気持ちを忘れていたと思います。家の中の布団で寝られる、このことだけでもほんとに幸せなことなんです。道の駅を通じて気付かされました。


なお、余談になりますけれども、すべてではありませんが活気がみなぎっている道の駅には、乗用車やバスで訪れる観光客で賑っていました。


では、道の駅の活気の差はどこにあるのか、についてですけれども4点あると思いました。


(1)売店に、魚介類や農産物・食品類が豊富に陳列されているところ。


(2)開設された道の駅の場所が元々観光地のそばにある。


(3)道の駅のそばに温泉があるところです。


(4)、(1)~(3)に加えてやはり開設場所です。


それに、なんといっても、やる気ですね。自転車での日本一周と同じです。




(1)旅を通じての出会い(総括)

(1)旅を通じての出会い


自転車での出発以前から最も期待していたのが「人との出会い」でした。


でもこればかりは、当たり前のことですけれども、旅立ってみなければ予測出来ないことでした。


いざ旅立ってみると、世間にはまだまだ思いやりのある方の多いことに気付かされましたし、私が想像していた以上の素晴らしい巡り合いがありました。とりわけ親切なご厚意を頂いたことに関しては、やはり生涯忘れることが出来ないほど、私の心に今でも鮮明に残っています。


すでにブログで綴っていますけれども具体的には、一回目のパンクのとき、空気入れが役に立たず立ち往生していたときに、多忙な中にもかかわらず自転車をトラックへ積み込んで自転車店まで搬送してくださったこと。


キャリアが破損したことから身動きが出来なくなったとき、自転車を軽トラックに乗せて最善の手助けをしていただいたこと。


真夏の厳しい上り坂のとき、通り過ぎたコンビニまで引き返してから「かちわり氷」を届けてくれたこと。


また、コインランドリーを寝床として提供して頂いたこともありました。


かと思えば、ペーパーに住所と名前・電話番号を書き込み、「私の家で泊まってください」と手渡してくれた方がお二人いました。


その他、同じ日本一周を目指していた青年との楽しい語らいのひと時が幾度となくありました。年齢差を感じることなく、語り合うことが出来たことがほんとに嬉しかったですよ。


もうそれはそれは、書けばとんでもないほど長いブログになりますので、ほどほどにしておきます。


結論として、自身が受けたご厚意を、自然体で他の方へ施してあげることです。優しい思いやりのできる人間であることを無言の中で教わりました。


あとは行動で示すのみです。ささやかなことでもいいから、勇気づけてあげるための手助けをしてあげたいですよね。