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ゆめ

Author:ゆめ
 写真は、和歌山県内にある「紀伊日ノ御埼燈台」です。
定年後、日々余裕ができたのでアメブロを始めたのですが、2013年(平成25年)9月15日、当ブログに引っ越しをしました。思いつくままに綴っているところです。
 右サイドバー、リンク上段の「自転車で日本一周の旅」は私のホームページですが、現在使っている有料サイトは、5月14日で契約解消手続きを済ませました。その代替えHPとして「Googleマップ」の無料サイトを使って3月9日、再公開することができました。

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南海電車ラピート見学会

 昨日は南海電車ラピートの見学会(体験試乗会)に参加することができました。

 ナンバ駅からラピートに乗車後、住ノ江車庫まで移動。住ノ江車庫に着くとまずラピートの車内から洗車の様子を体験することでした。乗用車の洗車は幾度となくしているわけですが、電車の洗車は流石に初めての体験でした。童心の戻っていましたから。

 子供たちはラピート運転席で様々な体験の時間がありました。車掌室では、別の車両に乗り換え、扉の開閉をしてみたり、マイクを使い「発車します」等、思い思いのことばを使って、車内放送をされていました。

 もしかすると体験を通じて将来、南海電車に就職などのことも考えられるはずです。子供たちにとって将来の大きな夢の第一歩となるのかもしれません。

 それにしても。スタッフの皆様にはすごく親切にして頂けたことに感動しました。お別れの最後にはお土産まで頂くなど、感謝感激でした。
 ありがとうございました。








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津軽国定公園

 【津軽国定公園(海岸線)】 

 ■次の写真は、龍飛埼灯台手前の傾斜地から龍飛漁港の高台にある竜飛ホテルとその離れにある駐車場の全景です。ホテルから&灯台のある岬からは北海道を鮮明に目視するすることができます。

 赤く囲ったところですが自転車で日本一周中、芝生を利用してテントを設営して寝た場所です。写真では車が確認できますが、僕の就寝するときは、この場所にどなたも見られませんでした。





 ■赤丸で囲ったところは「龍飛崎灯台」ですが展望台(峠の山頂)から眺めたものです。この高台から写真赤矢印→方向に向かうと秋田県へ辿り着くことになります。展望台から峠を下ると厳しいヘアピンカーブの連続です。





  ■厳しい峠を下ると眼前に広がるのは津軽国定公園です。見えるのは自然豊かな山と海です。海面に目を向けると、まるで水槽で見るあの光景そのものでした。海水の透明度は抜群です。ただただ驚くばかりでした。沿岸線に面して民家は一切ありません。





■僕は自転車で美しい海岸線を眺めながら秋田県へと走り抜けました。苦しい思いをしながらも贅沢な旅でした。


津軽半島

■吉幾三さんの作詞・作曲が好きです。とりわけ津軽平野が好きですね。さすが青森県出身だけに、雪国にまつわる作詞・作曲にはただただ圧巻するばかり。

 僕も夏&冬、津軽半島を訪れましたが本当に素晴らしいところです。

 次の写真は、津軽半島の最先端にある龍飛漁港と龍飛崎灯台です。石川さゆりさんが「…ごらんあれが竜飛岬  北のはずれと  見知らぬ人が指をさす」と、連絡船から見える竜飛岬を背景にして、女の未練心を断ち切る心情をせつなく歌っています。

 年末恒例のNHK紅白歌合戦で石川さゆりさんが三年ほど続けてこの曲を歌われているようですが、凄く理解できます(過去投稿しましたが再度、書いてみます)。

龍飛漁港です。




龍飛崎灯台です。




 ■津軽は作家•太宰治ゆかりの地でもあるわけですが漁港近くには太宰治ゆかりの宿もあります(次の写真です)。

 彼は「津軽でここを過ぎて道はない、あとは海に転げ落ちるばかりだ」と書きしたためています。確かに岬の先端は断崖絶壁で、それ以上歩くと転ぶしかありません。


龍飛漁港の少し手前に「太宰治ゆかりの宿」があります。写真手前が漁港になります。山頂に見えるのは「龍飛埼温泉 ホテル竜飛」です。





「太宰治ゆかりの宿」です。




 ■次の写真は、車の通れない階段国道(339号線)です。

 龍飛埼漁港山肌の僅かな平地に肩を寄せ合うように密集した集落があります。その集落の路地入り口に「国道339」の標識があります。標識を目印に路地を入ると、突き当り手前で曲がると国道339(階段国道)の標識に辿り着きます。

 階段国道は、ホテルのある高台と龍飛灯台を結びます。もちろん、別のルートから車で向かうことも可能ですが。


国道339号線に入るための出入り口になります。ここから、歩いて狭い路地に入るわけですので車は入れません。




集落へ入るとこのような狭い路地になっています。






路地を抜けるとご覧のように、車の通れない「階段国道」出入り口に辿り着きます。




■龍飛崎灯台の少し離れに「道の駅みんまや」があります。そこに青函トンネル記念館があるわけですがここを起点として、ケーブルカーで青函トンネル(水平坑)のある海面下140mの斜坑を堪能できます。スリル満点です。

線路に並行して非常用の階段もあります。





自転車で能登半島外周記

 2010年 9月7日、自転車で富山市内から能登半島へ向かうこの日は、台風🌀が能登半島を直撃する日でした。フェン現象の影響でしょうか、蒸し暑さに根負けしてカフェに入るほどでした。

 この日の目的地は能登島にある「道の駅のとじま」のはずでしたが、能登島手前にあるJR和倉温泉の傍まで来ると、雨模様に急変。咄嗟の判断で、七尾市にある「道の駅能登食祭市場」へと引き返しました。 

 七尾市の道の駅に戻ると同時に雨になりました。

 天気予報通り、お昼頃でしたか台風は能登半島を直撃。あっという間に風雨共に強くなりました。「道の駅能登食祭市場」へ引き返したのが正解でした。強烈な風雨でしたが、道の駅の日差しが長かったので安心して寝られましたから。

 冒険には運の御方も必要。僕にとって思い出深い地でした。

【道の駅能登食祭市場】
台風から逃れるため夜を明かしたのが赤ペンで囲んでいる場所です。




 
お昼頃でしたが台風が直撃しました。ご覧の通り、大荒れでした。
道の駅ですから、食事に困ることもありませんでした。お手洗いもありましたから。




道の駅の正面です。一番奥で寝ました。裏は港です。




【道の駅のとじま】
和倉温泉•加賀屋はご存知かと思います。日本を代表する温泉です。その近くに能登半島と能登島を結ぶ「能登島大橋」があります。能登島はのどかで素晴らしいところです。田舎暮らしには最高だ!と思ったほどでした。島内には入浴可能な「ひょっこり温泉」もあります。そこでお風呂に入りました。その後、島内にある「道の駅のとじま」へと移動したものの外は日が暮れて真っ暗になっていました。
能登島に入るためには、和倉温泉近くにある「能登島大橋」を通ります。







「能登島大橋」です。この橋を通り能登島に入りました。





「ひょっこり温泉」で入浴しました。残念ながら写真が残せていません。




この写真は道の駅を離れるときの朝、撮ったものです。道の駅に向かう前、温泉で長湯しすぎたため、この道を通るときは真っ暗でした。当時はまだスマホを使っていませんでしたので、どこを走っているのかの見当がつかず、困ったものでした。凄く不安でしたね。




島内になる道の駅ですからどなたもいません。それにしても何だかお化けが出ても、と思わせる程に寂しい道の駅の夜でした。販売機そばの長椅子を使ってで寝ていたわけですが、あまりの寒さに根負けして、道の駅二階の玄関前へ移動したものです。




【ランプの宿】
 能登島と能登半島は二本の橋で結ばれています。自転車の旅での離島は、「ツインブリッジのと橋」を渡りました。内湾沿岸国道を通り、珠洲市を過ぎると、国道を少しわき道に入ると能登半島最北端手前海岸の波打ち際に光沢のある黒瓦で覆われた「ランプの宿」があります。






「ツインブリッジのと橋」です。離島の時は、この橋を渡りました。




よしが浦温泉「ランプの宿」です。まるで時代劇のオープンセットのようです。有料展望デッキから撮ったものです。




【緑剛崎灯台】
写真は能登半島の最北端にある「緑剛崎(ろっこうさき)灯台」です。ランプの宿から比較的近い距離にあります。国内の灯台と比較しても斬新なデザインに目を奪われたものです。イギリス人技師設計と書かれていました。納得したものです。





「緑剛崎灯台」です。灯台の麓には「道の駅狼煙」があります。そこから灯台まで歩きます。




【道の駅千枚田】
 自転車の旅で能登半島周回最後の夜となったのが道の駅「白米千枚田」でした。輪島市内にある道の駅であれば、寂しくないはずでしたが、なぜかこの場所で寝ることにしました。この夜も寂しかったなぁ~

 能登半島の旅は素晴らしかった。ありがとう。 
 
千枚田で記念写真です。自転車には荷物が満載です。




千枚田の風景です。





醜い写真で申し訳ございません。ここで寝ました。
夜になると僕一人でした。寂しい夜でした。

復興を信じて

 阪神・淡路大震災の起きたのは1995年1月17日、場所は淡路島北部、淡路市周辺でした。地震の生々しい断層のつめあとは今も保存されています。

 僕が自転車で現地を周回したのが2010年11月15日でしたが、時間に制約があり断層を見学することができなかったのが心残りです。

 次の写真は2010年当時のもので、震災地•兵庫県淡路市内の復興後の街並みです。つまり、震災6年後になると、目を見違えるほどに美しい街並みに復興されたわけです。

 ですから、能登半島も美しい街並みに蘇らせることができることを信じて欲しいものです。